今日(といっても正確には昨日になったが)、仕事部屋からクルマで十五分ほどの温泉健康ランドへ出かけた。
今年一番の冷え込みだそうだが、午後の陽光は燦々(さんさん)で、露天風呂へ行くと、
(あっ、ハゲ!)
湯船につかって後ろ向きになった中年の〝てっぺんハゲ〟が、ピカピカと陽光燦々を照り返していたのである。
その様子がユーモラスでつい笑ったのだが、考えてみれば(いや、考えるまでもない)、剃髪している私こそ、毛の一本だにない大ハゲではないか。
私が湯船につかったならば、ピッカピッカは〝てっぺんハゲ〟の比ではあるまい。
《人の悪き事はよくよく見ゆるなり、我が身の悪き事は覚えざるものなり》
という親鸞聖人の言葉を思い浮かべていると、
「顔は人のためある」
という言葉を、ふと思い出した。
足の裏はもちろん、首を無理にひねれば背中さえも〝自分の眼〟で見ることができるのに、顔だけは絶対に見ることはできないのだ。
鏡で見る顔は、「写った顔」であって、直接見る顔ではないのである。
このことから「顔は他人のためにある」というのだが、他人のためにあるということは、他人が不快になるような顔をしてはならないということだ。
そんなことを反省しつつ、露天の湯船に手足を伸ばした。
私のハゲ頭は陽光に輝いているだろうか。
たぶん、ピッカピッカ光っていることだろう。
当の私は決して見ることのできない光景なのである。
露天風呂のハゲ頭
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