深夜の地震である。
震度5弱だから結構揺れた。
揺れ始めと同時に目が覚め、
(すぐおさまるのか、激しくなるのか、ドカンと大地震になるのか、震源はどこか、避難する事態になるのか、着替えたほうがいいか、市の防災無線がスピーカーを通して何か話している、雨は大丈夫か、愚妻は自室でどうしているか)
瞬時に、これだけの思いが脳裏を駆けめぐったのである。
脳というのは実に不思議なものではないか。
命の危険に遭遇したとき、来し方が走馬灯のようによぎることがあるというが、なるほど、それはあり得るだろうと納得した。
こう考えると、「時間」は物理的な長さではないということになる。
すなわち、一瞬は全人生に匹敵するのだ。
『刹那即生涯、生涯即刹那』
いま思いついた言葉だ。
一瞬を積み重ねた総体が人生であるなら、人生は刹那におさまるということになり、この一瞬が人生のすべてということになる。
仏教は、
「過去はすでに過ぎ去って手が届かざるもの、未来はいまだ来たらざるもの」
として「過去」と「未来」を退け、常に「今、この瞬間」を問う。
ところが私たちは、「今の自分」を問わずして「未来の自分」に思いを馳せる。
足もとを見ず、山の頂を仰ぎ見て登ろうとするようなもので、つまづくのは当然だろう。
だが、うつむいて足もとばかり見ていると道を間違えてしまう。
人生という登山は、足下と頂上の二つを交互に見ながら登って行かねばなるまい。
余計なことを考えているうちに寝はぐれてしまった。
深夜の、何とも迷惑な地震なのだ。