歳時記

畑で「因縁因果」を悟る

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 今日は晴れ。
 午前十時、勇躍、畑へ出かける。
 S大指南役がいらしたので、無沙汰を詫び、
「畑に行く予定にしている日に限って雨が降るんですよねェ」
 と言い訳をすると、
「あんたね、あんたの予定に自然が合わせるんじゃなく、自然にあんたが合わせるんだよ」
 言われてみて目からウロコ。
 自然は私の予定など知ったこっちゃないのだ。
 ジャガイモも順調に芽吹いている。
 コマツナも順調に芽を出しているが、畝(うね)ではなく、畑の〝通路〟にズラリと芽を出しているのだ。
「あんた、いい加減に播(ま)いたんじゃないの」
 大指南役が苦笑いしている。
「バレたか」
 とは、もちろん言わなかったが、適当にやったので植える場所を間違えたようだ。
 タネは小さいため、播(ま)いたときは、適当にやったことがバレないでいるが、目を出せば一目瞭然。
 バレバレなのである。
 このとき私の脳裏に「因果応報」という言葉がよぎる。
 善因善果、悪因悪果
 適当に播けば、きっちり結果となってあらわれるのだ。
 だが、タネを播いたときは(因)、芽吹き(果)まで思いが至らない。
 だから人間は悪因悪果に苦しむのではないか、と考えつつ、畑はまさに「日日是耕日」であると納得した次第。

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