つい先日、中国のパンダ二頭がアメリカに到着したと、日本のメディアが報じた。
「友情の証」
と、習近平が言ったパンダだ。
中国の「戦略的パンダ外交」であることは周知であるにもかかわらず、そんな背景解説は一切なく、日本のメディアは「微笑ましいニュース」として報じている。
そんなニュースを日本で報道することにどれほどの意味があるのかと思うが、このあたりが日本メディアの不甲斐なさなのだろう。
今年の初め、日本がパンダを中国に返却するにさいし、園を離れる双子のジャイアントパンダを見送るため、上野動物園近くの道路はパンダグッズを身につけた人で埋め尽くされた。
トラックが動物園から出てくると、
「シャオシャオ!」
「レイレイ!」
ファンから悲鳴にも似た声が上がったと報じている。
パンダを惜しむ報道一色。
周知のとおり日中関係は最悪にあり、台湾有事にそなえて自衛隊は軍備の強化を進めている。
その一方で、
「シャオシャオ!」
「レイレイ!」
パンダが好きならそれでもいいが、メディアまでもが尻馬に乗る。
その報道姿勢に、私は節操のなさを感じる。
その根底にあるのは、
「あれはあれ、これはこれ」
という便宜的なスタンスだ。
「日中関係は日中関係、パンダはパンダ」
という使い分けである。
これを節操のなさと言うのだが、ひるがえって考えてみるに、これが世の中というものなのだろう。
人間関係を観ていればよくわかる。
「あれはあれ、これはこれ」で、その場その場でくっついたり、離れたり。
「昨日の敵は今日の友」
「昨日の友は今日の敵」
ころころ変わるのだ。
『忠臣は二君に事(つか)えず』
とは、『史記』の一節だが、これは逆説で、人間というものは「「あれはあれ、これはこれ」で、二君に仕えるということを言っているのだ。
「屁理屈」
という言葉があるように、オナラをするのでさえ理屈がつく。
すなわち、世のなか、すべてが正義であり、すべてが欺瞞とするなら、さて、どう生きていくべきか。
ただ、一つ言えるのは、道徳や倫理は、常に現実の逆説ということなのである。