歳時記

「一如」ということ

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今日から、小学校の体育館で、子供たちの稽古再開である。
体育館を走りまわる子供たちを相手にしていると、こっちまで元気になる。
どういう環境に身を置くかは、やはり大事である。

それにしても、コロナによる稽古休みは長かった。
身体が鈍(なま)ったが、そのぶん時間が自由になった。
なるほど、何ごとも一長一短。

言葉を変えれば、「長短一如」ということか。

さらに言葉を変えれば、「一つを得れば、一つを捨てる」ということになるが、私たちは、この「捨てる」がなかなかできない。

呼吸だって、呼気があるから吸気がある。

だが、この考え方は「吸うために吐く」であって、「吸う」に主眼がある。
仕方ないから息を吐いていることになる。

これではだめだ。
呼気と吸気は一如でなければならない。

いま、このブログを書きながらそんなことを考えていると、ドアがノック。
コン、コン、コンと3度のノックである。

2度のノックはトイレ、人様の部屋を訪ねるときは3度と愚妻に教えてある。
夫婦といえども礼儀は大切である。

「ちょっと、風呂に入らないの?」
愚妻が顔をのずけて言う。

愚か者が、そんなくだらないことを訊くためにわざわざ二階に上がってきてノックを3度するのか。

「バカ者、わしはいま忙しくて風呂どころではない。呼気と吸気は一如でなくてはならんのだ」
「あ、そう」
鼻を鳴らして出て行った。

思考中断である。
面倒くさくなった。
しょうがない、風呂に入るか。

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