歳時記

愚妻の「日焼け止め」

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夕刻、宅配便が届いた。
愚妻が日焼け止めを買ったのだそうだ。

「露天風呂に入っておいて、日焼け止めとは矛盾するではないか」
「ちゃんと日陰にいるわよ」

あと何年生きるつもりかしらないが、肌が焼けようとどうしようと、今後の人生にさして影響はあるまいに、愚かなことを言うのだ。

歳を重ねれば、身体も生活環境も変化する。
それにもかかわらず、これまでの価値観の延長線上を無自覚に生きるというのは、「斜塔」に階を重ねるのと同じではないのか。

傾きはしだいに増していって、最後は倒壊するだろう。

「日に当たれば日焼けする。これは道理だ。道理に逆らってはいかん」
さとすのだが、愚妻は聞く耳をもたないどころか、
「私にケチばかりつけるんだから」
居直るのだ。

おそらく、このまま居直りの人生をまっとうするのだろう。
人生に良し悪しがないとすれば、それもよかろうと、私はこのごろ達観である。

『歎異抄』に親鸞の言葉として、
「よろずのこと、みなもって、そらごとたわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
とある。

「世間虚仮(こけ)、唯仏(ゆいぶつ)是真(ぜしん)」
とは聖徳太子の言葉で、
「この世にある物事はすべて仮の物であり、仏の教えのみが真実である」
という意味になる。

愚妻の日焼け止めに仏道を重ね、私は人生の実相を見るのだ。

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