歳時記

雲のごとく融通無碍

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以前に書いたが、クルマで法務に出かけるとき、愚妻はクツを履けとうるさく言う。
言うだけでなく、玄関にはクツを置いておいて、雪駄はさっさとクルマの助手席の足元に積み込んである。

こうなれば、クツを履いて出かけるしかない。
安全運転にはうるさいのだ。

だが、法務先に着いたときに履き替えなければならない。
これが面倒なのだ。

しかも、帰宅するときもクツでなければならないので、法務が終わったら履き替えなければならない。
これが面倒なのだ。

ま、安全運転に越したことはないので、私はクツに履き替えているが、クルマでなく電車で出かけるときも、
「ちょっと、クツで行きなさいよ!」

言われて、私は唖然である。

「電車で行くのに、なぜクツなのだ」
「なんでって、クツを履くに決まってるでしょう」
「バカモノ! 法衣に運動靴を履いて電車に乗ってみろ。ヘンな坊主だと思われるぞ」
「あなた、ヘンな人でしょう?」

論点がズレていくのはともかく、愚妻は融通がきかないというのか、思いこんだら絶対に曲げないのである。

その点、私は融通無碍(むげ)。
過日、『雲無心にして岫(しゅう)を出(い)ず』という言葉を見つけて、思わずヒザを叩いた。

「岫」とは、谷あいにある山の穴のことで、山腹の洞穴からもくもくと雲を吐き出し、雲は無心にして沸き出でて流れ行くという意味だ。

しかも風に吹かれるまま、雲は融通無碍に形を変えてはいくが、雲という本質を失わず、雲でありつづける。

このことを愚妻に話して聞かせ、
「クツにこだわるな」
と、さとしたのだが、
「ちょっと、私をごまかそうと思ってもそうはいかないわよ」
聞く耳を持たないのだ。

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