健康と不健康とに関わらず、それぞれの人生は貴い。
健康であっても、不満と二人三脚で生きている人もいれば、病に伏していても人生を楽しんでいる人もいる。
与えられた命をどう生きるか、ここで幸不幸は決まるのだろう。
これまで健康ということについて深く考えてこなかった私だが、ご葬儀のお勤めなどをすると、
「健康でありたい」
と思うようになってきた。
「健康で長生き」
という意味ではなく、生きている間は健康ありたいと願うのである。
むろん、これは願望であり、煩悩であることは承知しているが、長患いのすえに命を終わるのは周囲の人も大変だろう。
病を得て気づく幸せもあるということを承知しつつ、人情としては健康を願うというわけである。
愚妻にも健康に留意するよう説教をした。
ノーテンキに生きているから、その必要はないかと思ったが、一応、話して聞かせた。
「いいか、健康には注意するんだぞ」
すると愚妻はジロリと私をニラんで言った
「ちょっと、あなたはけんこう(健康)より、げんこう(原稿)じゃないの。しっかり仕事しなさいよ」
いつの間にこんなシャレを言うようになったのか。
私の薫陶の賜であろう。
叱責するのも忘れて感心した次第。
それにしても「けんこう」の「け」の字が濁って「げ」になれば、「げんこう」になる。
「げんこう」の「げ」の字から濁点を取れば「けんこう」になる。
私はいつまで健康でいられるのか、愚妻の愚かなシャレに思わず考え込むのだ。