歳時記

死ぬまで働け

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「働き方改革」をもじって、愚妻は「働け働け改革」だと言って、悦に入っている。
「働け」を二つ重ねにするところに、愚妻の不気味さと本気度が見て取れる。
 そのうち、この言葉に「死ぬまで」をくつっけて、
「死ぬまで働け働け改革」
 と言い出すのではないか。
 いや、「まで」ではなく、「死んでも働け働け改革」になるやもしれぬ。
 私の晩年は、ますます厳しさを増すに違いない。
「日本騎兵の父」と呼ばれた秋山好古は、「人間、死ぬまで働け」という言葉を残しているが、秋山に言われるぶんには奮い立ちもするが、愚妻に言われたのでは、「なんだかなァ」の気分である。
 だが、つらつら考えるに、一定の年齢まで頑張って働き、晩年は好きなことをやってのんびり暮らすという生き方は、ゴールを目指して必死に走るのに似ていないか。
 と言うより、会社人生にゴールはあっても、生きて在(あ)ることにおいゴールはない。
 生き続けるというのは必然的に現在進行系であり、したがって死ぬまでゴールに辿り着くことはできないことになる。
 ゴールが存在しないのに、ゴールを目指す生き方は矛盾であり、それが蜃気楼と気づかず、オアシスを求めていることになる。
 そう考えると、ゴール目指して必死に走るのではなく、走ること自体を楽しむ生き方をすべきだろう。
 私はそう思って生きてきたし、いまも生きている。
 だが、愚妻には、私の人生観が理解できない。
 楽をして生きているように見えるのだ。
 だがら、「働け働け改革」だと言って、私を責めているに違いない。
「私は決して怠けているわけではない」
 と抗弁するが、愚妻は聞く耳を持たない。
 人生観の違いは、埋めがたい溝があるのだ。
 そんなとき、私は仏壇に向かって、お経を称える。
 去来するのは、心の平静ではなく、ただただ無常観なのだ。

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