歳時記

旧い写真

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 昨日は道場の仕事部屋に行かず、自宅の自室で仕事をした。
 長机の上には、パソコンとプリンター、本立てなどが雑然と乗っかっている。
 机の下は資料類が積んであるが、何の資料かわからない。
 何年もそのままになっている。
 ひょいと気になり、執筆の手をやめてゴソゴソと引っ張り出して見ると、資料の束にまじって、旧いアルバムが何冊も出てきた。
 写真の日付を見ると、30年前のものもある。
 ということは、私は30代。
 若い。
 愚妻を部屋に呼んで見せると、
「私は若かったわねぇ」
 と、これまた自分の写真を見て、愚かにも喜んでいる。
 だから、私はさとした。
「いいか、あと10年ほど頑張って生きていれば、いま撮った写真でも、あのころは若かったと懐かしく思うだろう。ということは、いまが若いのだ」
「それもそうね」
 いつもは私の言説にケチをつける愚妻が、こういうことには臆面もなく賛意を表するのだ。
 ずいぶん昔だが、三島由紀夫は旅行に際して、カメラを持っていかないということを、何かで読んだことがある。
 カメラがあると、脳裡に焼き付ける力が弱くなるといった理由だったように記憶している。
 確かに旅行にカメラを持参すると、撮ることに気がいってしまい、旅行そのものも、その土地を楽しむことも半減するようだ。
 となれば、人生という旅はどうか。
 思い出を写真に残そうとする行為は、ひょっとして人生という旅の楽しみを半減させているのではないか。
 脳裡にとどめた思い出であれば、いかようにも変えることができる。
 嫌な思い出だって、受け取り方が変わってくれば、懐かしくすることもできる。
 しかし、写真というリアルは、そうはいかない。
 これは、いいことなのかどうか。
 古いアルバムを前に、写真を撮るということについて、しばし考え込むのである。

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