歳時記

「継続」という苦しさ

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 昨日は、佐倉市民空手道大会だった。
 市外からの参加選手も多く、630名が出場。
 盛況で、ありがたいことだ。
 試合である以上、メダルを手にするのは、ほんの一握り。
 特に子供たちには、みんなに勝たせてやりたいが、そうはいかない。
 それでも、みんな一所懸命に頑張っている。
 継続は力なりと言うが、技量の優劣でなく、継続すること自体に意味があるのだと、本部席で観戦しながら思いを新たにした。
 これは武道に限らないことだが、ひとつ道を歩いていると、必ず迷いが生じる。
 目が、別の道に向く。
 これは大人も子供も同じで、人間とはそうしたものだ。
 だが、一つ道から別の道へ行っても、必ず迷いが生じる。
 大事なのは、迷いが生じないことではなく、「生じたときにどうするか」である。
 ずいぶん前のことだが、野球もやっていた小学6年生の男子が、
「道場をやめます」
 と言ってきたことがある。
 やめる子は引き止めない。
 それぞれの道で頑張るよう励まして送り出す。
 なぜなら、新たな道で、また継続することの迷いが出てくることを知っているからだ。
 迷いを重ねることによって、継続ということの意味をわかってくれ、それが人生に資すればいいと期待する。
 道場をやめると言ってきた小6男子の母親が、翌週、道場にやってきた。
 子供が、
「どうして僕はやめると言ったんだろう」
 と、泣いていると言う。
 聡明で真面目な子だったので、道場をやめようとした自分の心に思い至ったのだろう。
 再び道場に通い始めた。
 やがて父親の転勤で引っ越して行ったが、この子のことは、いまだにどうしているかと思い出し、「継続」ということについて考えさせられるのだ。
 継続は、迷いとの戦いだ。
 自分との戦いだ。
 だから苦しい。
 それを知るだけに、メダルが取れずとも頑張る子供たちに拍手を送るのだ。

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