歳時記

自分の遺影

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 コーヒーを飲まなくなって1ヶ月以上になる。
 理由はない。
 気分的に日本茶に切り替えたくなっただけで、私は何事も急ハンドルを切るのだ。
 仕事が詰まってはいるが、時間を割いて日本茶の淹(い)れ方についてネットで研究。
 基本は白湯の温度で、愚妻のように大らかな気分で淹れたのでは熱くてダメなのだ。
 だから、私が自分で淹れる。
 したがって愚妻は手間が省け、大喜びということになる。
 振り返れば、コーヒーに凝(こ)った。
 コーヒーミルからサイフォンから、あれやこれやを試した。
 もちろんコーヒーカップにも凝り、海外旅行に行くとホテルのティールームのカップを吟味し、
「おっ、さすがパリだ」
 などと愚妻相手に能書きをたれたものだ。
 そういえば、かつてはタバコにも凝った。
 紙巻きタバコからパイプ、葉巻まで、あれやこれやと買い集めた。
 酒にも凝った。
 スーツにも凝った。
 靴にも、カバンにも、帽子にも、雪駄にも、筆記用具にも凝ったし、近年では作務衣と着物に凝った。
 空手も古武道も、気狂いするほど凝った。
 何事も凝って、凝って、凝りまくり、いきなり、
「やーめた」
 というのが、私のパターンなのだ。
 だから愚妻は、私が何を始めても冷ややかに見ている。
 そして、決まって言うセリフが、
「何をしてもいいけど、私に迷惑をかけないでね」
 言われてみればもっともで、最近は何となく生きるにも厭きてきたので、
「そうだ」
 と思い立って遺影にする写真を用意した。
「どこにしまっておこうか?」
 愚妻に問うと、
「どこでも好きなところに入れておいて」
 と無関心の返事。
 愚か者が、私が死んだら写真をしまった場所がわからなくなるではないか。
 しょうがないので、額に入れ、黒いリボンはかけないで、自室の壁にクギを打って掛けることにした。
 そんなわけで、いやおうなく自分の「遺影」を毎日、眺めることになった。
 ニッコリ笑った遺影に向かうと、見ている自分も笑みがこぼれてくる。
「ひょっとして、さとりの境地に近づいたのではないか」
 と勝手に喜んでいる。
 元気なうちに遺影を飾るのも悪くないものである。

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