歳時記

田中角栄「待望論」

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 昨日の日曜日は、小学校の体育館を借りて、年一度の支部交流「演武会」を行った。
 と言っても、私は冒頭の挨拶をするだけで、あとは坐っているだけ。
 役員諸氏がそれぞれ分担してテキパキと進行してくれる。
 私は忘れていたが、今回で第12回だと、実行委員長が言っていた。
 とすると、私が53歳のときに演武会を始めたことになる。
 若かった。
 振り返ってガク然だが、それはそれとして、小さな子供たちが元気に演武するのを見るのは楽しいものだ。
 
 今日は午後から九十九里・御宿の山里にある古民家レストランに出かけた。
 年老いたヤギが繋がれている。
 以前、若いヤギがいたので、その親だろうと思っていたら、
「その若いヤギですよ」
 と、女将さん。
 この一言に、これまたガク然とした次第。
 過日、「角栄待望論」について、産経デジタル「iRONNA」から原稿依頼があり、ウェブに掲載された。
 この原稿を、6月24日付「産経新聞」朝刊のオピニオン面に転載したい旨、夕刻に連絡があった。
 私は「オピニオン」というガラではないが、独断で思うところを書いた。
《私は政治決断に「正解」を求めない。求めるのは政治家の「信念」であり、その信念に私は一票を投じる。言い換えれば、有権者には、それだけの覚悟が求められるということになる》
 という下りは、参院選、東京都知事選の参考になるのではないかと、ひそかに自負している。
 ついでがあれば、ぜひ目を通して戴きたい。
 人間に毀誉褒貶はつきものである。
 石もと追われようとも、田中角栄のごとく、時代の変遷のなかで待望される人間でありたいと思う。
 マスゾエ某に、果たして待望論が起こることがあるだろうか。
「角栄論」は、すなわち「人間論」であると私は思うのだ。

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