歳時記

五輪エンブレム騒動に思う

投稿日:

東京オリンピックの公式エンブレムで、デザイナーの佐野研二郎氏が逆風にさらされている。
また周知のとおり、佐野氏にデザインを依頼したサントリーは、佐野氏から申し出があったとして、キャンペーン景品のトートバッグのうち8種類を取り下げた。
 佐野さん、ヤバイ気分だろうな。
 デザイン論について私は門外漢で、エンブレムにしろトットバックにしろ、これが法律的・道義的にどう問題になるのかはわからないが、一見して、
「似てるよな」
 というのが、私だけでなく、率直な感想だろう。
 プロのデザイナーの中には、
「アニメキャラの見分けがつかないオカンと同じ」
 として、五輪エンブレムの盗作疑惑に反論し、佐野氏を擁護しているが、これはいただけない。
 なぜならエンブレムは、デザインにはシロウトの一般大衆が見るものであって、シロウトが見て、
「似てるよな」
 と思えば、それはパクリと思われても仕方があるまい。
 ま、それはそれとして、今回の騒動に、私は別の感慨をいだく。
 佐野氏は、作品が五輪エンブレムに採用されたからこそ、バッシングにさらされている。
 五輪に採用さえされなければ、トップデザイナーとして今も、これからも活躍し続けることができるだろう。
「人間は得意の絶頂でつまずく」
 とは、先人はよく言ったものだ。
 そんなことをツラツラ考えると、「得意の絶頂」とは無縁で、「その他大勢」でいたほうが、人生は気楽で、結局、ハッピーなのかもしれない。
 そんな思いがよぎるのは、このところ幕末に興味があり、明治維新関係の本を読んでいるせいかもしれない。
 つまり、「歴史に名をとどめることにどれほどの意味があるのか」という懐疑である。
「平凡であること」「その他大勢であること」は、実は人生の勝者ではないかと考えたりもする。
 そんなときに、五輪エンブレムの盗作騒ぎ。
「得意の絶頂」を目指して努力し、最後は「得意の絶頂」でつまずく。
 人生とは、何とも皮肉なものではないか。

-歳時記

Copyright© 日日是耕日 , 2024 All Rights Reserved.