歳時記

「心の化粧」ということ

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 昨日は、九十九里の仕事部屋へ来た。
 久しぶりである。
 さっそく温泉健康ランド。
 出てから、愚妻が言う。
 キャッキャッと、若い娘さんたちがにぎやかに入って来たのだそうだが、
「その一人がとっても可愛い顔しているのよ」
 可愛さに見とれて、腹立たしさもどこかへ行ったそうだ。
「ところがね」
 と続ける。
「その子が顔をプルプルと洗ったら、〝エッ?〟なのよ」
 化粧が落ちた素顔は、まさに〝別人〟だったのだそうだ。
 この話を夜まで、愚妻は何度も繰り返し、しきりに感心してた。
 私たちも心の〝化粧〟を落とせば、可愛くない心が顕(あらわ)れて来る。
「悪性さらにやめがたし。心は蛇蝎のごとくなり」
 とは、親鸞の言葉。
 人間は、自分だけが可愛いと思う「身びいきの心」(悪性)を生まれながら宿し、宿しながら生きていくといった意味だ。
「おい」
「なによ」
「親鸞はな」
 と、この言葉の説明をすると、
「それは、あなたでしょう。私は違う」
 聞く耳を持たぬ。
「そうじゃない」
 と言おうとしたが、やめた。
「馬に念仏」なら、「愚妻に説法」ではないか。
「あなたこそ、悪性を宿して生きているんでしょ。何とか言いなさいよ」
 ヘタすりゃ、私が自己批判されることになるのだ。

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