歳時記

「経験」という真理

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 梅雨時の雨は、1週間に3日だと天気予報士がテレビでウンチを話していた。
 その他の季節は平均して週に2日の雨だから、たいした違いはない。
 それにもかかわらず、梅雨というと、毎日、雨が降っているような気がする。
 これが、先入観というやつなのだろう。
 故人になったが、土佐犬の闘犬をやっていた元ヤクザ氏が、
「オレは、自分の目で見たことしか信じない」
 とよく言っていた。
 ことに人物評は要注意で、人間関係には利害が絡むため、ウワサや評判にはバイアスがかかっている。
 だから一切耳を貸さず、自分が実際に会って話してみるまで、どんな人間であるか決めつけないというわけだ。
 つまり、先入観にとらわれないということ。
 仏教では、先入観にとらわれず、あるがままに見ることを「如実知見」と言う。
 このヤクザ氏は仏教とは無縁の人間であったが、ヤバイ橋を渡ることで体得した「真理」は、仏法にも匹敵するということか。
 イタンーネットを媒介としてバーチャルな世界に浸る私たちには、この経験というやつが欠けつつあるのように思う。
 ピケティ氏の『21世紀の資本論』を読まずとも、現実生活と格闘して得た経験則は、経済学者の知識をもしのぐのではないだろうか。
 先のヤクザ氏は全身刺青をしていたので、入浴可能なサウナは限られているため、よく一緒に千葉県某市のサウナまで出かけたものだが、折りに触れて彼が口にする「人生観」は、経験に裏打ちされているだけに、
「なるほど」
 と納得させられることが多かった。
「机上の空論」という言葉はあっても、「経験の空論」という言葉ない。
 このことを、私たちは今一度、考えてみる必要があるのではないかと、今朝、「悟りの道」ウォーキングしながら思ったのである。

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