九十九里の仕事場を引き払ったので、ときおり犬吠埼のホテルへ泊まって仕事をしている。
犬吠埼は日本の最東端なので、天然温泉の露天風呂から太平洋が一望でき、気分がすこぶるよい。
これで仕事がはかどれば万々歳だが、そうはならないところが人生の面白さか。
で、いまホテル。
昨夕、露天に浸かっていると、オッサンが入ってくるなり、
「おッ、混んでるな」
と眉をしかめた。
自分もまた、混んでいる原因の一人であるのに、そのことを棚に上げて、
「おッ、混んでるな」
とは、バカなやつだ。
バカはともかく、我が身を含め、人間は常に「傍観者」であるという事実を再認識させてもらい、オッサンに感謝である。
そういえば週刊誌記者時代、この「傍観者」の手法をよく使ったものだ。
たとえば人気俳優の結婚については、
「バカ騒ぎするワイドショーの低俗」
といった記事に仕立てる。
バカ騒ぎを笑い、「傍観者」を装いつつ、自分もまたバカ騒ぎに便乗しているという矛盾。
「おッ、混んでるな」
と言い放ったオッサンと、いい勝負ではないか。
これを浄土真宗的に解釈すれば、
「人間とはそうしたものだ」
と認めることから出発するのだろう。
ならば、愚妻は私のワガママをいつも批難するが、その原因は私にあるのではなく、
「人間とはそうしたものだ」
と認める視点が彼女に欠けていることにある。
だから、私はちっとも悪くない。
これが露天風呂に浸かりつつ、私が得た結論なのだ。
露天風呂で「傍観者」を考える
投稿日: