歳時記

幸不幸のタネを「逆説的」に考える

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「終わりよければすべてよし」
 これが《人生の要諦》である。
 どんなに苦しい人生を歩んでこようと、晩年を迎えて、
(生きててよかったな)
 と笑顔が浮かべば、それは幸せな人である。
 過去の労苦は、この笑顔によってすべて帳消しとなり、楽しい思い出に変わってしまうからだ。
 ということは、労苦が大きければ大きいほど、
「生きいてよかった」
 という感動は比例して大きくなり、手にする幸福感もまた、それにつれて大きくなる。
 逆説的に言えば、「労苦こそ幸福の種」ということになる。
 反対に、栄耀栄華をきわめ、バラ色の人生を送ってきた人が晩年を迎えて躓(つまづ)き、
(私の人生は何だったのだろうか)
 と悔悟の日々を送るとすれば、それは不幸だ。
 躓いたことが不幸なのではなく、悔悟しながら生きていくという、そのことが不幸なのである。
 これも逆説的に言えば「バラ色の人生は不幸の種」ということになる。
 さて、「労苦こそ幸福の種」と、「バラ色の人生は不幸の種」と、どっちの生き方がいいだろうか。
「おい、おまえはどう思うか」
 愚妻に問うと、お茶を飲む手をとめて、
「何よ、いまさら。あなたは晩年じゃないの」
 ごもっともである。

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