歳時記

指導とは、何と難しいものか

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 私の道場には、小学生だけで70名ほどいる。
 これだけの人数がいれば、当然ながら上手・下手がある。
 だが、武道は反復練習によって練度を上げていくものだから、下手であっても一向にかまわない。
 やる気さえあれば、必ず一定の技術水準に達するからだ。
 要するに、そこに達するのに早いか遅いかだけの違いだけであり、したがって、やる気さえあれば上手下手はかまわないというわけである。
 ところが、やる気に乏しい子は困る。
 親にケツを叩かれて仕方なく稽古にやってくるのだろうが、やる気に乏しい子は、後ろめたさを「無意識に自覚」しているため、仲間を引きずりこもうとする。
 これが困るのだ。
 やる気がなければ、道場に来るのは時間のムダでもったいないと思いつつも、モチベーションを高めることによってやる気が出るのではないか、という期待が私にある。
 黒帯を取得し、「達成感」を味わうことは、これからの人生に必ずプラスするという思いもある。
 そのかわり、一定の到達点まで行けずして落後すれば、心の奥底に挫折感が残る。
 これは当人にとって不幸で、だから何と落後せず、黒帯になるまで頑張って欲しいと心底、願うのである。
 技術を教えるだけなら簡単だが、指導者の思いを伝えるのは難しいものだ。
 だが、思いが伝わらなければ、やる気に乏しい子が発奮することはない。
 しかも、学校のように義務教育であればいいが、空手道場はイヤになったらやめればよい。
 こういう環境において、子供を指導するというのは、何と難しいものであることか。
 人生に似て、指導に本気になればなるほど、難しさは増していくのである。

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