歳時記

恐怖の曜日

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 私には恐怖の曜日が二つある。
 火曜日と土曜日。
 夕方5時から、「幼児・小1」の稽古があるのだ。
 現在、このクラスは16名。
 しかも、この年ごろは個人差が大きく、運動神経も、体力も、精神年齢もバラバラ。
 遊ばすのは簡単だが、彼らを統率して空手を教えるとなると、これは大変な労力を要するのだ。
「こらッ!」
 と一喝しても、聞く耳は持たず、
「おっ、上手だね」
 と、おだてて得意になるのはものの数分で、たちまち厭(あ)きてしまう。
 まっ、サッカーや野球、水泳と違って、空手の稽古がそう面白いわけがなく、それも当然だろうと納得しつつも、指導者として放っておくわけにはいかない。
 で、考え出したのが「競争」である。
 誰が上手か、競わせるのだ。
 個人でも、チームでも、彼らは嬉々として、そして本気で頑張るのである。
 動物界も、植物界も、生きとし生けるものはすべて、「種の保存」という本能を備えている以上、競争は本能的なものだ。
 だから子供たちも無意識に頑張るのだろう。
 このことに対する仏教的見地は措(お)くとして、生きることは、すなわち競争なのである。
 ところが、いまの教育は「競争」ということを極端に排除している。
 果たしてそれは正しいことなのだろうか。
 あれこれ考えさせられ、「幼児・小1」のクラスは心身ともに疲れるのである。
 昨日も、幼児3人をつれて見学に行きたいと、母親から電話があった。
「どうぞ」
 と返事しつつも、にわかに恐怖心がもたげてくるのだ。
 

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