一に我慢、二我慢。三、四なくて五に我慢。
我慢こそ「人生成功」の源(みなもと)で、まさに「辛抱する木に花が咲く」ということになる。
だけど、調べごとをしていて、仏教用語の《我慢》は、とても悪い意味であることに気がついたのだ。
《慢》は、《自慢》《増上慢》といった使い方をするように、
「オレが、オレが」
という「驕(おご)り」の意味。
そして《我慢》の意味は、
「自分自身に執着する心」
ということになる。
つまり《慢》を消滅することが「心の安穏」であると仏教は教えるのだ。
さあ、困った。
「一に我慢、二我慢。三、四なくて五に我慢」
と、これまで道場で子供たちにハッパをかけてきた私はどうすればいのだ。
僧籍のはしくれとしては、実にマズイ。
しばし考えた末に、
(そうだ!)
と名案が浮かんだ。
「一に辛抱、二に辛抱。三、四なくて五に辛抱」
こう言い換えればいいではないか。
言葉とは何と重宝なものであるか、我ながら感心したのである。
ついでながら、民主党の菅内閣がスタートした。
言葉の言い換えと同じでなればいいがと、高支持率を横目で見ながら、国民の一人として気になるのである。
言葉とは重宝なものだ
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