右足の中指を何気なく触って、
(ありゃ?)
感覚がないのである。
ここ数日、右膝に違和感があるので、脊柱管狭窄症の影響かもしれない。
(ヤバイなァ)
と思いつつ、しかし脊柱管狭窄症があるのは4年前からわかっている。
わかっているにもかかわらず、いまになって「ヤバイなァ」と思うのは、覚悟のほどができていないということになる。
つまり、調子がいいときは忘れていて、いざ具合が悪くなると、あたふたとするというわけだ。
これじゃ、だめだ。
何事も順風のときに「最悪」の状態に思いをめぐらし、しかと覚悟することが大事なのではあるまいか。
「順風のとき」というのがポイントで、順風であるから最悪の事態について考えても、気持ちは平静でいられる。
たとえば、会社勤めが順調なときは、リストラ後の生活設計について考える余裕はあるが、いざリストラされてからでは前途真っ暗で、生活設計どころではあるまい。
脊柱管狭窄症も同じで、調子がいいときに「痛みが再発したらどう対処するか」を冷静に考えておけば、具合が悪くなっても、
(ヤバイなァ)
という思いは小さくなるはずだ。
たぶん「死」も同じだろう。
いずれ確実に死ぬとわかっているのだから、元気なときに「死」についてきちんと思いをめぐらせ、しかと覚悟しておくべきだろう。
これも「元気なとき」というのがポイントで、病気になって入院してから、
「人間は必ず死ぬのだから」
と思えば、気持ちは落ち込む。
ところが「元気なとき」は、死は現実感がないため、不安なくして考えられるというわけである。
そして人生はマラソンと同じで、「終点」を見据えて日々を走ってこそ、頑張ることができ、その結果として充実が得られるのではないだろうか。
順風のときに「最悪」を考えよ
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