歳時記

「一畳の人生」について考える

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 私は二階建ての家に、愚妻と親父と三人で住んでいる。
 しかも、仕事部屋は道場にもある。
 本来であれば、生活も仕事もスペースはじゅうぶんのはずなのに「狭い」のである。
 これが私には不思議でならず、各部屋をジロジロと眺めて見て、はたと気がついた。
 余計な物が多いのだ。
 書籍、資料、衣類、置物、生活小物などなど、「あればいいが、なくてもいい物」が、そこいらじゅうにある。
「いつか役に立つ」は、結局、役に立つことはないと知りながら、捨てられないでいるというわけである。
 と、そんなことを考えているうちに、
《千畳敷に寝ても一畳》
 ということわざが唐突に浮かんできて、
(なるほど、そういうことなのか)
 と、納得したのである。
 つまり、人間が寝るスペースは、どんな大邸宅に住もうと一畳あればじゅうぶんで、残りのスペースは〝不要のもの〟で一杯になっていくということである。
 家が多くなれば当然、一畳分を引いた残りのスペースが広くなるわけで、それだけ〝不要のもの〟が多くなり、狭く感じるということになる。
 だから、住まいの広さに関係なく、常に「狭い」という不満が生じるのが、私たち人間というわけである。
 これは、住まいに限るまい。
 お金も、地位も、欲もすべてそうだろう。
 どんなに稼ごうとも、どんなにエラくなろうとも、結局、常に不満が残るのだ。
 人生はやはり、簡素であることがいちばんの幸せであるかもしれない。
 今春、良寛の「清貧」について本を書いたが、いま改めて「清貧」について思いをめぐらせている。
「一畳の人生」――。
 すがすがしくて、最高の贅沢であるかもしれない。   

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