歳時記

湯船でコロンボ空港を思い出す

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 昨夜、稽古が終わってからスーパー銭湯へ出かけた。
 露天風呂につかって頭上を仰ぎ、雲一つない夜空に散らばる星を眺めるのは、私にとって至福のひと時である。
 飛行機が、数分間隔で頭上を行き交っている。
 千葉県には成田空港があり、また羽田空港に降りる飛行機は木更津沖から侵入してくるため、空は実に賑やかなのである。
 両翼で点滅する灯を見ていると、
(どこか行きたいなァ)
 という思いにかられる。
 それも心浮き立つものではなく、人間が潜在的に有している現実逃避の願望というのか、何となくもの悲しいような思いである。
 飛行機の赤い灯を見ていて、唐突にスリランカの光景が浮かんできた。
 あれはいまから十数年前、政府関係機関の招待でスリランカへ行ったときのことだった。
 帰途、深夜便に乗るためコロンボ空港に行って驚いた。多くの人たちが、滑走路の周辺にじっと座っていたのである。最初、何をしているのかわからなかったが、やがて飛行機の発着を見物しているのだということがわかってきた。
 談笑するわけでもなく、多くの目が、ただじっと駐機している飛行機に注がれているのだ。
(ヒマだな)
 と私は苦笑した。
 その苦笑は、まだ若かった私の、発展途上にある国の人々を見下すような思いであったろう。
 そのときの光景をスーパー銭湯の湯船で思い浮かべながら、夜空を飛び去っていく飛行機の赤い点滅を目で追っていると、ふと、
(あのときのスリランカの人たちは、海外に向けて飛び立っていく飛行機にいったい何を見ていたのだろうか?)
 そんな思いがよぎったのである。
 陸を越え、海を越え、異国へ飛び去る飛行機……。
 そこにオーバーラップする心情は、異国へ行ってみたいというポジティブな願望か、あるいは現実逃避という潜在的に有するネガティブな願望か。
 あの夜、コロンボ空港で見た光景が、十数年を経て、私の心のなかで別の意味を持ち始めたのである。
(ウーム)
 腕組みして唸れば、至福のひと時はどこへやら。
 せっかくの露天風呂なのに、「現実逃避とは何か」をテーマに、ああでもない、こうでもないと頭を悩ますのである。

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