歳時記

桜は散るをめでたしとする

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 土曜日から鴨川市の仕事部屋いる。
 昨日、毎度のごとく館山の健康ランドに行く。
 露天風呂に浸かって手足を伸ばし、ひょいと庭を眺めると、目を楽しませてくれたモミジが、いまも紅葉を保っていた。
(おっ、頑張ってるな)
 と思ったわけではない。
(なんだ、まだ紅葉したままでいるのか)
 心の中で毒づいていたのである。
 このモミジの紅葉を、ブログでご紹介したのは、調べてみると4月28日だった。
 赤く色づいたモミジを紹介しつつ、
《裏を見せ、表を見せて、散るモミジ》
 という良寛の歌を引いて、人生の思いを綴った。
 まっ、我ながら感動したのである。
 だが、感動のモミジも、いつまでも赤く色づいたままで突っ立っていると、何だかシラケてきて、
(やっぱり、花の美しさは、散り際の見事さだなァ)
 と、勝手なことを言うのである。
 どんな感動も、いつまで続けば厭(あ)きがくる。
 桜がもし2ヶ月も3ヶ月も咲き続けたらどうだろう。
 凡庸な花になるに違いない。
 酒席も同じだ。
 人さまの家を訪ねたときも同じだ。
 どんなに話が弾もうと、グズグズと〝長っ尻〟していたのでは、次第に倦(う)まれることになる。
「まだいいじゃないか」
 引き留められるくらいで席を立ってこそ、余韻が残るのである。
《月は惜しまれて入り、桜は散るをめでたとしとする》
 これは、人生のすべてにおいて言えるのではないか。
 露天風呂でモミジを眺めながら、そんなことを思った。

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