歳時記

「正義感」と「過剰防衛」

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 犯人が拳銃自殺して幕切れとなった埼玉県川越市の「発砲立てこもり事件」。
 解決まで8時間半を要したことで、住民から批判の声があがっているとの報道がある。
「もっと早く解決できたのではないか」「人質がいないから狙撃してもよかったのではないか」――など、さまざまな意見が出ていると報じている。
 私は、こうした批判の声を聞くたびに、〝後出しジャンケン〟の身勝手さを感じる。
 後出しジャンケン――つまり、無事解決という「結果」が出てからの批判であるからだ。
「よし! 人質がいないから犯人を狙撃だ!」
 警察が断を下し、もし住民に危害が及んだら、住民たちは何と言うか。
「もっと慎重に対処すべきではないか!」
 こう批判することだろう。
 メディアも尻馬に乗って、イケイケドンドンの批判の嵐となる。
 無事に解決すれば「もっと早く解決しろ」。
 アクシデントが起これば「警察のミスだ」と批判。
 こういう〝後出しジャンケン〟はイヤな風潮である。
 実は、このあいだから気持ちに引っかかっていることがある。
 電車の中の痴漢事件。
 女性が助けを求めたが、周囲の客は助けてくれなかったという報道だ。女性は自力で逃げ出し、車掌に知らせ、男は警察に引き渡されたが、報道は乗客の態度を批判的に報じていた。
 なるほど、乗客の態度には私も悲しくなる。
 腹立たしくなる。
 私がその思いを口にすると、知人が言った。
「もしケンカになって、痴漢野郎をブっ飛ばしてみろ。過剰防衛になってしまうぞ」
 正義が一転、傷害事件になってしまう、と知人は言うのだ。
 このときメディアは、「正義感」を擁護するだろうか。
 擁護はしまい。
「暴力を振るう前に車掌に通報するなり、適切な手段があったのではないか」 と批判的に書くだろう。
 知らん顔をしていれば批判し、正義感が結果として暴力沙汰になれば、過剰防衛だと批判する。
 これも〝後出しジャンケン〟なのだ。
《義を見てせざるは勇なきなり》
 という正義感こそ尊いのであって、〝傷害事件〟は成り行きの結果に過ぎないと、私は思うのである。
 かつて私は、深夜の電車で、私の隣で痴漢していた男を見つけたことがある。
 娘さんは気の毒に、うつむいて耐えていた。
 私は頭に来た。
 男を怒鳴りつけ、胸ぐらを締め上げたところ車内は騒然となり、その隙に男は停車した駅で逃げた。
 もしこのとき、男が居直ったら、私とケンカになったはずだ。
 そして、私が男をボコボコにしたらどうなっていたろう。
 傷害事件である。
「よけいなことしてバカな奴」
 と嘲笑されたことだろう。
「正義感」が「過剰防衛」という法律に屈するのだ。
 そんな世の中が、果たして健全なのだろうか。
 暴力を否定しつつ、釈然としない思いが私の心に引っかかって離れないでいる。

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