見栄を張ってナンボ――そう信じて生きてきた。
喜怒哀楽を表に出す人間は「素直」でもなんでもなく、腹が減ったと言ってキャンキャン泣いてみせる犬と同列である。
だから「武士は食わねど高楊枝」で、人間は見栄を張るべきだと思うのだ。
だが、最近は少し考えが変わってきた。
見栄を張ることの愚かさに気がついた、というわけではない。
面倒くさくなったのだ。
これまで私は、10のものを5に見られるのはしゃくだった。
むしろ12に見せるように努力してきた。
ところが最近は、5に見られようが3に見られようが、
(ああ、そうですか)
と、気にならなくなってきたのである。
達観したのではない。
57歳という年齢になってみれば、10のものを12に見せたからといって、人生ボチボチ。ほとんど影響しなくなってきたからだ。
同様に、10のものが5に見られたからといって、これも人生ボチボチなのである。
(ならば、見栄を張るだけしんどいではないか)
そう思うようになってきたのである。
思うだけではだめで、即、実践だ。
すぐさまデーラーに電話して、クルマも小さいものに買い換えることにした。
時計も、ハデな金ムクはしない。
今日は雨なので、古いジーパンに長靴を履いて出かけた。
先ほど、女房と昼食に出かけたが、値段の安いものをあえて注文した。
やってみると、これが実に清々(すがすが)しい気分なのである。
あんまり気分がいいので、もう一枚、作務衣を仕立てたくなってきた。
「おい、京都の岩田呉服店から生地見本が来てたろ?」
レストランで食後のコーヒーを飲みながら、思わず女房に告げていたのだった。
煩悩とは、げに恐ろしきものなのである
見栄を張らず、人生ボチボチ
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