歳時記

現状打破は、視点の数に比例する

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 道場内にある仕事部屋まで、自宅から5分である。
 たいてい歩いて行くが、荷物があるときはクルマで行く。
 で、最近、つらつら考えるに、歩いて行ったときのほうが、仕事の〝立ち上がり〟が早いことに気がついた。
 それはたぶん、歩いている最中、無意識に段取りを考えているせいではないだろうか。つまり頭が仕事モードになり、ウォーミングアップを始めているからだと思うのである。
 パソコンで言えば、歩いている最中が「脳の起動」というわけだ。
 ところがクルマで行くと、運転に気を取られて、段取りに意識がいかない。
 しかも数分で着くため、「脳の起動」が終わならい。
 だから仕事の立ち上がりが遅くなり、それが尾を引き、結局、1日の効率が悪くなるのではないか、と私は考えるわけである。
 そういうことから言えば、散歩が〝発想の転換〟に有効だとされるのは正しい。
 実際、ブラブラ歩いてる最中に、
(あっ、そうか!)
 とアイデアがひらめくことは、私もよく経験する。
 では、なぜ散歩すれば、〝発想〟に有用なのだろうか。
 それは「刺激」だと思う。
 見えるもの、聞こえるものから無意識に刺激を受け、脈絡なく連想が働き、それが思いもかけぬ「視点」につながり、
(そうか!)
 と、ひらめくという次第。
 アイデアや発想、あるいは悩みなど、ドツボにハマったときに散歩すると、もつれた糸をほどく新たな視点が見つかるのである。
 ただし、ブラブラ歩く、というところがポイント。
 ランニングでは、こうはいかない。
 100メートルを全力疾走しながら、発想の転換を図ることはできない。
 息を切らしてマラソンをしながらでは、新たな視点はひらめかない。
 走ることに意識集中しているため、外界から刺激を受けても、それが脈絡のない連想に発展していかないからである。
 で、私は考えた。
 アイデアマンとか、悩みの尾を引かない人と言うのは、発想を転換させる〝刺激のアンテナ〟をたくさん持っているのではないか。
 すなわち、散歩の効果と同じメカニズム――刺激⇒連想⇒新たな視点⇒解決――というもを脳のなかに持っているのだ。
 だから既成概念にとらわれず、ドツボにハマらず、連想に遊び、斬新な視点を見つけるのである。
 ならば、どうやって〝刺激のアンテナ〟を身につけるか。
 人に会うことである。
 ただし、
(こういう人に会いたい、ああいう人に会いたい)
 と求めて会うのはダメだ。
 なぜなら、「いまの自分の価値観」でそう思っているからだ。「いまの自分」の延長線上には「いまの自分」しかいないのだ。
 流れにまかせ、チョイスせず、いろんな人間に会ってみることだ。
 会って、すべてを受け入れてみることだ。
 思いもかけない影響とは、思いもかけない人から得るのである。
 ところが、多くの人は、「人物評価」をしてしまう。
 それもネガティブなものが圧倒的に多い。
(イヤなやつ)
(あんな人間とはつき合いたくないな)
(調子いいよな)
 これでは、〝刺激のアンテナ〟は磨かれない。
 イヤな人間に会えば、反面教師になる。
 ありがたいことではないか。
 利己主義の人間に会えば、他山の石になるのだ。
 人に会うだけでなく、経験もしかり。
 成功も失敗も、いい人も、イヤなやつも、自分にとってムダなものは一つもないのだ。
 ムダとは、それを活かす力が自分にないことを言う。
 だから、世のなかにムダはないと、私は考える。
 どんなネガテイブなことでも、活かせば財産になる。
 反対に、いかな財産でも、それを活かす力がなければ無用の長物になる。
 猫を見よ。
〝小判〟の前でアクビをしているではないか。

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