歳時記

橋下氏の府知事選出馬で思う「男の一言」

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 弁護士でタレントの橋下徹氏が、大阪府知事選に立候補を表明した。
「絶対に出ない」から一転、「出る」に変わったことから、何となく釈然としない気分でいるのは私だけではあるまい。
 私の周囲の人間も、
「出ないと言っておきなかがら、何だ」
 と、手厳しい感想が多い。
 橋下氏が府知事として適任かどうかという〝本質論〟よりも、前言を翻(ひるがえ)したことにこだわっているのだ。
 小沢一郎民主党代表が〝辞意会見〟を開いておきながら、一転、代表の座にとどまったときも、同様の批判があった。
「辞めると言っておきながら、何だ」
 というわけである。
 小沢氏が画策した大連立構想の是非よりも、前言を翻したことに対して批判が集中したのだ。
 ここに私は「日本人のメンタリティー」を観る。
 つまり「男の一言(いちごん)」というやつである。
「証文があろうがなかろうが、男がいったん口にした言葉は死んでも履行すべき」
 という価値観である。
 かつて、あるヤクザが金銭貸借の証文を要求されて、
「わしの言葉以上の証文があるのか」
 と居直ったというエピソードがあるが、これが日本男児の矜持であり、西洋の「契約至上主義」とは違う日本の美徳であると、私は思っている。
 だから、「出ないと言ったじゃないか」「辞めると言ったじゃないか」――という一言(いちごん)にこだわり、前言撤回には釈然としないのである。
 だが、「男の一言」で生きるのは窮屈だ。
 前言など、さっさと撤回して気楽に生きるのもまた、人生である。
 どっちを是とするか、それは人生観の問題だ。
 だが、あなたは「一言を貫く人間」と、「前言を撤回して気楽に生きる人間」と、どっちを信頼するだろうか。
 私は、他人に対しては、
「前言など、こだわらんでよろし。さっさと撤回して気楽に生きなさい」
 と勧めるが、自分自身の生き方としては、一言を貫く人間でありたいと願っている。
 やせガマンと言われればそれまでだが、「男の意地」とは所詮、やせガマンのことなのである。
 

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