歳時記

顔と同様、会話にも「化粧」をすべし

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 女性が、顔に化粧するのは当たり前である。
 スッピンで人前に出るほうが非常識とされる。
 男だって、身だしなみは大切とされる。
 しかるべき席に出るときに服装を整えるのは、社会的コンセンサスである。
 つまり、外見を装うのは「ごまかし」ではなく、「常識」ということなのだ。
 しかるに、「話術」はどうか。
 社会生活を送る上において、服装以上に大事なものであるはずなのに、「話術の化粧」については、あまりに無関心ではないだろうか。
 無関心どろか、「巧言令色鮮し仁」とか、「巧言は徳を乱る」など、言葉巧みで調子がよいことを非難する。
 なるほど、調子のいい人間は、信用がおけない。
 しかし、だからとって、話術に「化粧」は不要なのだろうか?
 私は、そうは思わない。人間が社会的動物である以上――調子がいいか悪いかは別として――コミュニケーションの手段たる「話術(会話)」には、顔の化粧や身だしなみと同じように、「化粧」をすべきだと思う。
 ご記憶にあると思うが、〝コムスン事件〟が発覚した当時、折口雅博会長は謝罪し、深々と頭を下げたあとで、
「私にチャンスをください」
と訴えた。
 このとき私は、バカなことを言う、と思った。
 折口会長としては「世間の情」に訴えたつもりだろうが、これは逆効果。
(なんで、おまえにチャンスを与えなきゃならないんだ)
 と、世間の神経を逆撫でしてしまった。
葬儀に顔グロで参列したようなもので、彼は「話術の化粧」を間違えたのである。
 ここは、ひたすら頭を下げ、
「責任者として、いかような社会的制裁も甘んじて受けます」
という〝化粧〟をすべきだったのだ。
 世間を欺け、と言っているのではない。
 これが、よくも悪くも「世間の実相」であると、私は言っているのだ。
 で、「話術に化粧」の具体論だ。
 こんな例はどうか。
「オレはお前が好きだけど、バカだ」
「お前はバカだけど、オレは好きだ」
 どちらも「おまえはバカだ」ということを言っているのだが、「バカ」と「好き」の位置関係を入れ替えるだけで、相手が受ける印象は天地の差がある。
 あるいは、
「この間抜け!」
 頭ごなしに怒鳴りつければ、相手は反発するが、
「間抜けと言われても仕方ないだろう」
 と諭(さと)すように言えば、相手は神妙に聞く。
 どちらも「おまえは間抜けだ」と言っているにもかかわらず、相手の受け取り方はことほど左様に違ってくるのである。
 これが「言葉の化粧」だ。
 さらに、こんな例はどうか。
「いやな役目だが、これは避けて通れないことなんだ。ならば逃げないで、堂々と立ち向かって行くべきだと思うが、どうだろう」
 上司が部下に、こう告げる。
 いやな役目を、なぜこの部下がやらなければならないのか――という肝心なことには触れないでおいて、
「ならば逃げないで」
「堂々と立ち向かえ」
 と、奮(ふる)い立つような言葉をまぶしてケツを叩く。
 ケツを叩かれるほうも、何となく自分がその役目を背負(しょう)うべきだという気になってくる。
 まさに「言葉の化粧」の効用なのである。
「ウソをつけ」
 と言うのではない。
「相手を騙せ」
 と言っているのでもない。
「化粧をすべし」
 と言っているのだ。
 社会的生き物の我々は、人前に出るときは顔だけでなく、話術にも化粧をし、「会話美男」「会話美人」になるよう努力すべきなのである。
 

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