歳時記

言葉の〝手形〟に気をつけるべし

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 人間は「言葉の生き物」である。
 特に日本では、「言霊(ことだま)」といって、言葉には霊が宿るとしている。
 たとえば、父親の帰宅が遅いとする。
 息子が、
「交通事故にでもあってんじゃねえか」
 冗談で言うと、母親が、
「縁起でもないことを言うもんじゃありません」
 と、たしなめたところへ、警察から電話。
「先ほどご主人が、駅前で車にハネられました」
 母親は、この報せを受けたき、息子に叫んだ。
「あんたが縁起でもないことを言うからよ!」
 言葉=縁起――一例をあげれば、これが「言霊文化」である。
 霊が宿るかどうかは別としても、言葉は人を殺しもすれば、生かしもする。
「ワイは○×組の特攻隊や。殺てもうたるさかい、夜道は気ィつけや」
 こんな電話がしょっちゅう掛かってくれば、ヤクザが実際に行動に移さなくても、気の弱い人なら仕事も手につかず、ノイローゼになるだろう。
 あるいは、会社で、
「キミのような無能な部下は見たこともない!」「今度、ミスしたら辞表だぞ!」――こんな言葉で毎日、上司に叱責されれば、気持ちは背水の陣。おどおどしながら仕事をするから、またドジを踏む、という悪循環になる。
 これがもし、
「ミスなんか気にするな。思い切ってやれ。責任はオレが取る」
 と言ったらどうだろう。
 部下は奮起して、次はいい仕事をするだろうし、励ました上司も、部下の信頼を得ることになる。
 人間を生かすも殺すも言葉ひとつであり、相手を生かすことは、すなわち自分を活かすことなのである。
 このことを仏陀は、《自分を苦しめない言葉、また、他人を傷つけない言葉のみ語れ》と教えるのだが、前段の《自分を苦しめない言葉》について、補足しておきたい。
 自分を苦しめない言葉とは、本来の意味は他人に対する悪口を指し、
「廻りまわって、自分に跳ね返ってくる」
 と諭したものだが、これに私は〝言葉の手形〟をつけ加えたい。
 つまり、実現する前に、しゃべってしまうことである。
「今度、家を買うんだ」
 つい嬉しくなって周囲に話したとする。
 だが、本当にそのつもりでいたのに、諸般の事情で買えなくなったときが問題だ。
「あれ? 家を買うんじゃなかったの?」
「いや、それが……」
 自分がしゃべった言葉に苦しむのである。
 あるいは、
「常務の話では、オレ、今度の人事移動で課長になるらしいんだ」
 正式に辞令が出るまで待てばいいのに、黙っていられなくて、後輩に話したとする。だが、もし何かの事情で実現しなかったら……。
 これが、他人に対して振り出す〝言葉の手形〟なのである。
 言ったとおりの結果――つまり〝入金〟があって決済されれば問題はないが、何かの事情で〝入金〟がなくなれば不渡りになる。
 つまり〝言葉の手形〟は、振り出した時点から、自分を苦しめることになるわけである。
「口は災いの元」とは使い古された言葉だが、その意味は深いのだ。

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