歳時記

セカンドライフについて思う

投稿日:

 今月、59歳の誕生日を迎えたのを機に、人生にとって不要のものを整理しようと思い立った。
 で、何が不要か。
 愚妻の顔が真っ先に浮かんだが、これはとんでもないことだと、あわてて打ち消した。
 彼女がいなければ、洗濯機も電子レンジも使えない自分に気がついたからだ。
 愚妻は〝整理〟するのではなく、末永く大事に使用するものであると、考えを改めた
 となると、何が不要か。
 これといって思い浮かばない。
 思い浮かばないと、しゃくになってくる。
 で、ハタと気がついた。
 クレジットカードである。
 これまで、金だのプラチナだのと気まぐれで何枚も持っている。
「おい、カードの年会費は全部でいくらだ」
 愚妻に命じ、金額を聞いて唸った。
 ナント、ただ所有しているだけで、年間これだけの金を払っているか!
「バカ者、おまえは何とおろかなことをしているのだ」
 叱りつけると、
「あなたが勝手に入会したんでしょ」
 身の程知らずが、例のごとく刃向かってくるのである。
「過去を問うてはならない。大切なのは〝いま〟だ。即刻、不要のカードを整理せよ」
 と命じて、
「いいか、これから始まるセカンドライフに向けて大きく人生の舵を切るから、そのつもりでいよ」
 すると愚妻はめんどくさそうに、
「誰がセカンドライフなのよ?」
 と、神経を逆なでするような言い方をした。
「バカ者。わしに決まっておるではないか」
「あなた、会社勤めじゃないでしょ。ファーストもセカンドもないんじゃないの」
 返答に詰まった。
 言われてみれば、フリーライターを皮切りに渡世してきた私の人生は〝毎日が日曜日〟のようなもので、「退職」というケジメがないのだ。
 したがって、論理的に〝第二の人生〟はないということになる。
(私にはセカンドライフがないのか)
 ガク然とし、人生の大損をしているような気分になったのである。
 亭主の悲哀を知らず、愚妻はノンキにテレビで時代劇を見ている。
 女が長生きする理由が、何となくわかるような気がした一瞬である。
 私はセカンドライフのある人を、心底うらやましく思うのだ。

-歳時記

Copyright© 日日是耕日 , 2024 All Rights Reserved.