歳時記

「肩書き」について考える

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 衆院の議員会館で、落選議員の引っ越しが始まった。
 480議席のうち、半数近くの大移動だそうだ。
 サルは木から落ちてもサルだが、議員は選挙に落ちたら〝タダの人〟。
 お気の毒なものである。
 私はこれまで、《肩書き》にこだわる人間、《肩書き》を乱発する組織を笑ってきた。「長」のつく人間が「ヒラ」より多い零細企業だってあるのだ。
 だが、よくよく考えてみると、「人間の値打ち」というやつには客観性がなく、したがって《肩書き》でしか判断できないのではないか、と最近思うようになった。
「私は仕事ができます」
 と言ってみたところで説得力はないが、
「私は部長です」
 と言えば、なんとなく「エラいんだな」と思ってしまう。
 そういう意味で、《肩書き》は大事と言うわけだ。
 落選議員は《肩書き》がなくなる。
 だから「元議員」とか「前議員」という《肩書き》をつける。
 だが、大物政治家になけば、「現」も「元」も「前」も不要だ。
 すなわち、小物であるうちは《肩書き》で勝負、大物になれば《名前》で勝負。《肩書き》は不要ということになる。
 こうしてみると、《肩書き》にこだわるのは「小物の証明」ということになる。
 やはり、笑われて当然ということか。

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