今日は法事が2つ。
そのうち1つは、私が先月ご葬儀のお勤めをした方で、今日は墓前で49日と納骨である。
霊園には陰がなく、地面の照り返しもあって実に暑い。
覚悟してクルマから降りたところが、これが結構な風が吹いているではないか。
しかも、納骨する石材屋さんが墓前に大きなパラソルを立ててくれている。
これなら日陰になり、風も吹いて涼しいと気を良くしたところが、ご遺族がそろい、読経をはじめる段になって強風に転じたのである。
パラソルがひっくり返りそうになり、石材屋さんがあわてて抱きとめる。
危険だ。
「畳みましょう」
私が提案して、パラソルなしで法要をはじめた。
頭上はさすがに暑かったが、風が吹いていて涼しい。
気分としては、風の涼しさがプラス6で、頭上の暑さマイナス4。
差し引きプラス2となり、「ま、いいか」と納得した。
これが、もし風が弱く、頭上が猛暑となれば、プラス・マスナスは逆転して、「暑チチチチ」と、うらめしくなっていたはずである。
つまり人間は何事もプラス・マイナスを無意識に計算し、プラスのほうが1つでも多ければ納得し、マイナスのほうが多ければ不満ブーブーになるということ。
ならば、プラス・マイナスがイーブンの場合はどうか。
帰途のクルマのなかで考えた。
プラス5にマイナス5。
差し引きプラスが0ということにおいて、気分としてはマイナスになってしまうのではないか。
ということは、選択においては、どんな屁理屈をつけようとも必ずプラスが多くなるように考えることが大事ということになる。
「 ビュリダンのロバ」という、意志決定におけるたとえ話がある。
腹ペコのロバが、道が左右二手に分かれた分岐点まで来たときのこと。
左右の道のどちらも同じ距離の先にエサの干し草が置いてある。
ロバはどうしたか。
どっちの干し草を食べようか迷って動けず、結果、餓死してしまう。
笑ってはいけない。
決定には、なぜそちらを選ぶのかという「理由」か必要で、理由が見つからなければ決定できなくなるという、これは「決定論」なのである。
霊園における「風」と「パラソル」の関係もしかり。
風が吹くことをプラス6としたゆえに選択し、不満も出ないのだ。
このことから、前述のごとく、選択においてはイーブンにならないように注意し、必ずプラスを多くするよう自分に言い聞かせることが大事なのだ。
墓前のお勤めも人生の知恵があると、ひとりクルマの中で悦にいったのである。