先週末は、房総鴨川市に借りた仕事部屋に籠もって原稿を書いた。
今年は心理術のハウツーのほか、子育てや生き方論、時代小説など、ジャンルを広げて刊行予定になっているため、頭の中は混線状態で、ときおり脳内回線がショートして、目の奥で青い火花が飛んでいる。
そんな一日、天気がよかったので、徹夜明けのまま近くの浜辺におりて、水平線を昇る太陽に手を合わせてから、小石を探して砂浜を歩いた。なぜだか自分でもわからないのだが、私は波で磨かれた浜の小石が大好きなのだ。
ところが、気を引くような小石が、なかなか見つからない。
潮風と、単調な波の音を楽しみながらブラつき始めたはずなのに、せっかちな私は、イライラが次第に高じて来た。とうとう浜の端まで行って折り返し、舌打ちをして戻り始めた、その途中――。素敵な小石を見つけたのである。
だが、小石と言っても、コブシほどの大きさがある。
こんなでっかい石なのに、なぜ先程は気がつかなかったのだろう。目を皿のようにして歩いたはずなのに、往路では見つけることができなかったこの石が、復路で見つかったのだ。
これには、私も考えさせられた。
同じ砂浜の、同じ場所でありながら、歩いてくる方向が逆になるだけで、素敵な石を見つけたのだ。
人生などど大上段に振りかざすつもりはないが、
「万事において、見る角度をちょっと返るだけで、そこに新たな発見があるのではないか」
と、ふと思ったのである。
変わり映えのしない日々も、ちょっと角度を変えてみるだけで、素晴らしい一日になるかもしれない。悩みの袋小路に迷い込み、絶望に苦しんでいても、ちょっと視点を変えてみるだけで、実は出口がすぐそばにあったということに気づくかもしれない。
視点を変えて見れば、「不幸の正体見たり枯れ尾花」――というのが人生の実相ではないだろうか。鴨川の浜を散歩しながら、そんなことを考えた次第である。
「幸せな人」とは、だふん、多くの視点を持つ人のことを言うのだろう。
だから、悩みに押しつぶされることがない。
ならば、幸せになることの、何と簡単なことか。
視点を多く持て――徹夜明けの朦朧とした頭で考えたのが、この結論である。
視点を変えれば、「不幸の正体、枯れ尾花」
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