歳時記

悩みも極限に至れば、幸せに転ずる

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 かねて知人より、畑づくりを勧められている。
 知人は広大な畑地を持っており、貸してやるからやってみろ、というわけだ。先夜も「そうだなァ。150坪ほどもあればいいかな」とおっしゃってくれた。
 私は150坪の広さを想像し、
(ちょっとした畑だわい)
 と、ワクワクしながら、この話を、やはり畑にくわしい別の知人にすると、
「アホか。シロウトが150坪の畑なんかできるわけがないじゃないか」
 と、目を剥いた。
 やるなら10坪程度から始め、面白くなったら徐々に増やしていけばいい、というアドバイスであった。
 家に帰って、女房に畑づくりの話をすると、
「自分でやるならどうぞ」
 と、つれない返事だった。ものぐさな亭主のことだから、草取りなど、自分に押しつけられてはたまらない――ということなのだろう。
 果たして私一人でやれるのか……。畑を借りるべきかどうか、いま思案の最中である。
 畑と言えば、田舎暮らしがブームになって久しい。
 私も、田舎暮らしにはあこがれる。
 あこがれる一方で、
(しかし……)
 という思いもある。
 昔は、大都会を別とすれば、みんな〝田舎暮らし〟だったのだ。
 その〝田舎暮らし〟がイヤで、
「オラ、東京さ行くだ」
 と、ネコも杓子も大都会へなびいたのだ。
 ところが、いまになって、
「田舎暮らしって、人間らしくていいなァ」
 と、あこがれる。
 妙な話ではないか。
 もちろん〝田舎暮らし〟にあこがれる理由は、いろいろあるだろう。自然回帰、癒し、文明への批判……。理屈はいくらでもつくが、私は折に触れて書くように、世の中も人生もすべて「振り子」であり、〝田舎暮らしブーム〟は、たまたま〝振り子〟が「田舎」に振れているだけだと思っている。
 右に振り切れば左へ、左に振り切れば右へ――。これが世の中であり、人生なのだ。
 たとえば先日のニュースで伝えていたが、総合商社の賃金体系が、成果主義から元の年功序列型にもどすという。
 妙な話だ。
「年功序列なんておかしいじゃないか。仕事は実力で評価されるべきだ」
 と、みんなして批判の声を上げたではないか。成果主義こそグローバルスタンダードだとして、競って導入したのは誰なのだ。
 それが今度は一転、年功序列がいいと言い出した。結局、〝振り子〟は右に左に振れるのだ。いずれまた年功序列が批判され、形を変えた成果主義になるだろう。これが世の中なのだ。
 人間も同じだ。
 泣いたり、笑ったり、悩んだり、ハッピーになったり、気持ちの揺れは〝振り子〟と同じ。悩みもトコトン悩み抜けば、逆方向に振れ始める。だから、案ずることはない。悩みや苦労に浸かっていれば、放っておいてもやがてハッピーが訪れるのである。

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