過日、このブログで書いたように、いつもの左腰痛を克服すべく、痛みに顔をしかめながら逆療法でウォーキングを続けていたが、ついに昨日、動けなくなった。
昨日は午後から法事があり、仏間で支度をしていて、
「あッ、痛テテテテ!」
激痛に身体が固まってしまったのである。
その場にじっとしたまま、激痛がいくらか納まるのを待って、そろりと身体を動かし、腰にサポーターを巻き、どういう動きをすれば痛くなるかを確かめる。
法事があるので、寝っ転がっているわけにはいかないのだ。
愚妻にSOSを出すと、
「ほら、言ったとおりでしょ。ウォーキングなんかするからよ」
心配するより先に、勝ち誇ったように言う。
薄情なものである。
こうした痛みが何度も続くようだとマズイだろう。
原因をつきとめておかねばなるまい。
整形外科に予約を入れ、そろりと法事に出かけ、何とかお勤めをした。
で、整形外科。
6枚ほどレントゲンを撮った結果、椎間関節症との診断である。
斜めの姿勢で撮った画像でわかった。
医師は丁寧に説明してくださったが、リハビリに通う時間はない。
となれば、治療法は特になく、腰に負担をかけないよう自分で気をつけるしかないということになる。
だが、不思議なもので、頸椎症の診断のときもそうだったが、原因がわかれば気持ちが楽になる。
気持ちが楽になれば、「痛テテテテ」もいくぶんか楽になってくるのだからゲンキンなものである。
私たちは「因果関係」がわからない事象には不安を覚える。
天変地異さえも、エルニーニョがどうした、地球温暖化がどうしたと説明されれば、何となく納得する。
人間は不幸なことが続くと、その原因を求めて占いや怪しげなる宗教に走ったりするが、その気持ちがわかるような気がするのだ。