歳時記

燕雀は知らず

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土、日は混むので、日帰り温泉はパス。
水曜を中休みとし、用事がなければ水、土、日をウォーキングの日にした。

今日は晴天。
少し早めに歩き始めたので、帰途、公園のラジオ体操にでくわした。

熟年たちがソーシャル・ディスタンスである。
(なるほど)
と感心しながら一方で、ウェブ体操は可能であって、朝のこの清々しさは味わえない。

そう思ったが、バーチャル万能の時代だ。
そのうち「朝の清々しさ」もウェブで体験できるようになるだろう。

すごい時代になったものだ。

帰宅して愚妻にそのことを話すと、
「あっ、そう」
それで終わり。

コロナ対策のフェイスガード作りには熱心でも、時代のトレンドには関心を示さない。

『燕雀(えんじゃく)は知らず天地の高さ』
ということわざがよぎる。

「小物には人生の奥深さなど知るべくもない」
という意味で、
『燕雀安(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや』
と合わせて用いられるが、これを愚妻に即して言えば、

「時代の滔々たる流れに目を向けず、目前のことばかりに気をとられている」

ということになろうか。

それではいけないと思い、
「おまえのような人間を『燕雀は知らず天地の高さ』と言うのだ。燕雀とは燕や雀のことで」
言いかけたところが、
「ツバメとスズメがどうかしたの?」

あらたまって「どうかしたのか」と問われ、返事に窮してしまったが、よくよく考えれば、身の丈で生きていけばいいのであって、「天地の高さ」など知らなくてもいいのではないか。

コロナ禍でこのことを学んだはずなのに、目線はどうしても高くなってしまうのである。

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