歳時記

趣味がないということ

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怒濤の一週間である。
今年は盆前から法務に忙しく、これに加えて台風による天候不良。
いささかバテ気味である。

体力的なこともさることながら、若い人の葬儀など、親御さんの悲嘆に接すると精神的につらいものがあり、忙しいときはこれが疲労となって蓄積されていくのだろう。

とりあえず本日は、午前中に初盆のお参りが一軒だけ。
たぶん午後から時間が空くと思うので、近所の日帰り温泉に行こうと昨夜思って愕然とした。

自分には趣味が無いことに気がついたのだ。

ライフワークバランスの時代でありながら、楽しみのない私はワークのみで、これではライクとのバランスが取りようがないではないか。

これはマズイ。

引き替え、愚妻はエアコンの効いた涼しい部屋で毎日テレビを観ている。
法務から帰宅すると、ソファのところにリモコンが置いてあるのですぐわかる。

愚妻の身体がまだ本調子でないので私は何も言わないが、愚妻は私と真反対で、ワークなしのライフのみ。
これもまた、ライフワークバランスが取れていないということか。

「おい、わしには趣味がない。これでいいのだろうか」
昨夜、愚妻に言うと、
「あら、あなたは、生きていること自体が趣味みたなものじゃないの」

チャンネルを変えながらこともなげな言うのだ。

言われてみると、そんな気がしないでもないが、なんとなく釈然としない。

だが、いまさら趣味を持つといっても何をしたらいいのか。

これまで、盆栽からキャンプ、ゴルフ、釣り、詩吟、家庭菜園と趣味らしきことはずいぶんやってきた。

やることがないのだ。

ウォーキングは趣味の範疇に入るのだろうか。
どうでもいいことを大マジメに考えるのは、きっと疲れているからだろうと、自分に言い聞かせるのである。

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