日本が〝人工衛星ロケット〟を迎撃すると聞いて、北朝鮮が〝宣戦予告〟をした。
非常事態にしては、メディアも国民も、あまりに緊張感に欠けてはいまいか。
野球だ、アイススケートだ、サッカーだと連日お祭り騒ぎ。加えて、お笑い番組が相変わらずにぎやかだ。
これも、戦後60余年という〝平和ボケ〟のなさせるわざなのだろうか。
ソ連が崩壊したときも、あれよあれよという感じだった。
中国が共産主義を捨て、自由主義に舵を切ったときも、あれよあれよという感じだった。
歴史は、私たちがそうと意識しないうちに、深く静かに大転換をしていくのだ。
その兆候が、今度の危機にあると私は感じている。
100年に一度といわれる世界大不況のさなかに、北朝鮮と戦争になれば、日本はどうなるのだろう。戦争に至らずとも、一触即発の危機になれば、再軍備の世論がわき起こるのは必至だ。
空に戦闘機の編隊、陸に戦車隊、海に艦隊となれば、エコなど吹っ飛んでしまうだろう。
いま日本は、そういう危機に直面しているのだ。
以前、このブログで、鳥取県の公立小学校では、
《「差別」の観点から、運動会の徒競走は全員が同時にゴールできるように、走るのが遅い子供に対しては、コースをショートカットしたり、スタートラインを他の生徒より前にしたりする学校もある》
と、揶揄した。
いまの日本は、そういう国なのだ。
それを平和と考えるか、惰眠をむさぼっていると考えるか。
国対国の戦争、テロとの戦い、そして内戦。
世界の多くの国が血を流している。
徒競走がニュースになり、それに賛否の声があがるのは日本くらいのものだろう。
北朝鮮のアクションによっては、私たちの価値観は一変するのだ。
平和と、惰眠と、北朝鮮のミサイル
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