昨朝、日帰り温泉の露天に浸かっていると、露天の淵をカマキリが歩いている。
カマキリのことはよく知らないが、目がよくないのか、段差のところまで行って手が空を切ると、ピタリと止まる。
しばらく佇み、やおら方向転換。
私の目から見れば、こっちへ行って、あっちへ行けば植木の中に入れるとわかるが、カマキリにはわからない。
私の視座を「仏」とすれば、カマキリは「人間」ということになるか。
どこへ進んでいるかわかっていない。
そろりと歩いて行って、手が空を切ったところで方向転換。
これが私たちである。
(これは法話でつかえるな)
気をよくし、風呂から出てから愚妻に話してみる。
愚妻レベルで理解できるかどうか。
ここが肝心である。
「おい、露天にカマキリがいて」
「ちょっと、カマキリどころじゃないわよ。女湯の露天は47度あったんだから。熱くて入れやしない」
「飛びこんだのか?」
「まさか。あなたじゃないんだから」
温度調節に手違いがあったのだろう。
カマキリの話など、切り出せる雰囲気ではない。
猫に小判、愚妻にカマキリか。
あのカマキリ、どうしただろうか。
いまも気になっているのだ。