歳時記

今日から「法名」で呼ぼう

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 昨日はお墓参りに行った。
 正月もひと息つき、何となくお墓に手を合わせたくなったのである。
「行くぞ!」
「よっしゃ!」
 87歳の爺さんは、畑に行くときも、お墓参りに行くときも、弾んだ返事をする。
 ヒマとは怖いものではないか。
 で、爺さんと愚妻と私とで、クルマで20分ほどの墓園へ出かけた。
 僧籍にある私はもちろんだが、爺さんも、愚妻も、すでに本願寺から法名をいだいている。
 爺さんが『釋映芳』で、愚妻が『釋浄華』だ。
『映芳』とは、親鸞聖人の師である法然聖人が往生されるとき、
「不可思議な光や音楽があたりをつつみ、さらに妙なる香りが映えるように芳しくただよった」
 ということから取ったもので、爺さんはえらく気に入っている。
 で、昨日。
 お墓にお参りしているときも、
「わしの『映芳』という法名はええのう」
 と、感に堪えぬ顔で言うので、
「じゃ、今年から『映芳』と呼ぼうじゃないか」
 私が提案すると、
「ほうじゃのう」
 と喜んでいる。
「ちょっと、ヘンなこと言わないでよ」
 愚妻が小声で言って私のソデを引っ張る。
「バカ者。せっかく法名をいだいているに、死んでから用いたのではもったいないではないか」
 そんな経緯があって、この日から爺さんを「映芳(えいほう)さん」と呼ぶことにした次第である。
 ちなみに愚妻の『浄華』は、「仏さまの座」を言い、蓮(はす)の花をさす。
 蓮は汚泥に根を張って美しい花を咲かせることから、汚泥を煩悩、美しい花を悟りとして用いられる。
 だから阿弥陀如来像は蓮の花(浄華)の上に座し、あるいは立っているというわけだ。
「ということは、だ」
 私が愚妻に言う。
「おまえさんを〝蓮の花〟とし、その上に私が座るという意味になるな」
「冗談じゃないわよ」
「いやいや、大乗仏教の根幹は自利利他にある。自利利他とは、人に奉仕すること自体を、みずからの幸せとするもので・・・」
「ダメダメ!」
 私はあなたに誤魔化されない、と愚妻は首を横に振り、法名では呼ばせないと言い張るのであった。
 

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