歳時記

「修身」を考える

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必要があって自分の旧著を調べていて、『いま「修身」を読む』(ぶんか社)が目にとまり、パラパラと前書きを読んで考えさせられた。

この本は2002年2月の刊行だから、いまから約20年前だ。

何を考えさせられたかというと、20年が経っても、世相も価値観も何も変わっていないということである。

と同時に、私のものの考え方の原点は、ここにあるという再確認でもあった。

拙著の前書きで「戦後50年」という言葉を用いた。
昨日、日本は「戦後75年」の節目を迎えた。

そんな思いもあり、『いま「修身」を読む』の前書きを転載しておきたい。

以下、長くなるが、読んで戴ければ幸いである。
(ブログ用に改行して読みやすくした)

かつて、
「洗濯機で里芋を洗え」
と主張して、喝采を浴びた評論家がいた。

あるいはジャガイモであったかも知れない。

ずいぶん昔のことなので、記憶は曖昧になっているが、
(なるほど)
と感心したことだけは覚えている。

行儀作法や既成概念にとらわれず、便利なものは何にでも使えーーこの発想が若い私には〝眼からウロコ〟だったのである。

だが、いまは違う。
便利だからといって洗濯機で食材を洗うという発想は、それが近道だからといって父親の頭を跨いで通るのと同じではないかーーそう考えるようになったのである。

「エッチして小遣いになるんだもん、いいじゃん」
援助交際をしているという女子高生が言えば、
「どこをどう走ろうと、オレたちの勝手じゃねえか」
暴走族の頭が言う。

先日は、電車内でよろけて足を踏んだ老婆に、茶髪の若者が怒鳴った。
「痛てぇじゃねえか! ババァが電車なんか乗ってんじゃねえよ」

ガングロ、援助交際、イジメ、暴走族、学級崩壊・・・・。戦後五十年、民主主義という名のもとに行われた「何でも自由」の教育結果が、これである。

「洗濯機で里芋を洗ってどこが悪い」
と言われれば、そのとおりだろう。

「教師も労働者だ」
と言われれば、お説ごもっともである。

だが「理屈」が、ことの本質において、必ずしも正しいとは限らないことを、私たちは知っている。

「教師も労働者だ」と赤い旗を振って、教師は自ら「聖職」を放棄した。「一介の労働者」が人の道を説いたところで、耳を貸す生徒がいるはずもない。尊敬という絆(きずな)が切れれば、学校が荒廃するのは当たり前なのである。

一方、親たちは、
「友達家族(ニューフアミリー)」
を標榜して、その権威を自ら失墜させた。権威がなくて、どうして躾ができるだろう。心を鬼にし、ときに鉄拳を使って「人の道」を教え、我が子を社会に送りだすのが親の愛情であり義務ではなかったか。

「うるせー、ババァ!」
「うざったいんだよ、オヤジ!」
友達家族なら、子供に毒づかれて当然だろう。
ーーこのままでいいのか?

戦後五十年を経て、私たちは、これまで是とされてきた「子育て法」に疑問の眼を向け始めた。学校教育に、家庭の躾に、危機感を募らせ始めたのである。

「なぜ人を殺してはいけないのか」
と子供が問いかけ、それに対する答えをめぐって大マジメに論議される社会が、健全であるはずがない。

だが私たちは、何かが間違っていることに気づきながら、何をどうしていいのか、子育ての指針を見つけられないでいる。

そこで、「修身」の登場である。
「修身」は、日本の将来を担う有為な子供を育てるため、明治政府が国を挙げてつくった道徳であり〝子育て法〟である。
「修身ハ教育ニ関スル勅語ノ趣旨ニ基キ、児童ノ良心ヲ啓培シテ、其徳性ヲ涵養シ、人道実践ノ方法ヲ授クルヲ以テ本旨トス」(明治二十四年文部省公布、小学校教則大綱第二条)
良心、徳性、礼儀、勤労、孝行、勇気、誠実・・・・等々、学年に応じて、人間として「あるべき姿」を平易な例え話で説いている。

「修身」は思想教育であるとして、敗戦によって廃止された。だが、民主主義を標榜する戦後教育の結果が、いまのこの教育の荒廃あるとするなら、いま一度、原点に還るべきではないだろうか。原点とは、明治時代という、まさに近代日本の黎明期につくられた「修身」に他ならない。

本書を一読していただければ、かつて日本は、「修身」という世界に誇れる躾法を持っていたことに、きっと驚かれるに違いない。
(了)

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