道場の片づけ終了。
と言うより、面倒になったので、
「ま、いいか」
と手を打った。
そのあと愚妻を電話で呼びつけ、
「おまえの苦労がよくわかった」
この一語ですっかり気をよくし、頑張ってやっていた。
愚妻とハサミは使いようなのだ。
何事においても、「手を打つ」というのは大事である。
ギリシャ神話に出てくる「イカロスの翼」ごとく、調子に乗って、高く高く舞い上がっていると翼が解けて墜落してしまう。
欲に際限がない以上、手を打つしかないのだ。
「手を打つ」の眼目は、手を打つのは自分自身であるということ。
手を打つか打たないか、自分で決める。
そういう意味で、「攻めの人生」であり「価値観」である。
だから愚妻に言う。
「そろそろ自分の人生に手を打ったらどうか」
だが、耳を貸さない。
「まだまだよ」
手を打つ気配はまったくないのだ。