歳時記

「何か」を模索

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通夜、葬儀に出仕し、あわただしい週末だった。
私の姓が変わっているせいで、
「ひょっとして、この本の著者ではないですか?」
と、式をご担当された葬儀関係の方が、仏教関係の拙著を持参された。

「わかりやすく書かれていますね」
と言われ、恐縮した。

読者の方からメールを頂戴することはあるが、まさか葬儀の席で関係者の方にお誉めいただくとは思いもよらないことだった。

開式前の短い時間だったが、昨今の葬儀のあり方、遺族の心のケアなど、導師控室でお話しをした。
あれこれお聞きしたいこともあり、後日、改めてお会いすることにした。
経験に勝る師がないのと同様、現場の声に勝る知識はない。

葬儀や法事に出仕するたびに思うのだが、「人間の情」と「教義」は決して同じ方向を向いているのではないにもかかわらず、「教義」を押しつけようとする坊主は少なくない。

教義はそれぞれ宗派・宗教にとって生命線であることは当然としても、人間としての情を汲まずして何の教義かと、このごろ思うのである。

現場を通して見えてくる「何か」をテーマに、いま模索している。

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