昨日は、ノンフィクションノベル執筆のため、某大学空手部OBの方々に集まっていただき、同部出身の某氏について思い出を語っていただいた。
「某」ばかりになってしまうが、現段階では、いろいろと事情もあったりで。
うまく作品として結実すればいいが、五里霧中を歩くが如しの心もとない状況である。
とはいえ、出版社も決まっており、溜息をついてもいられないが、やはり溜息。
仕事も詰まっているので、何とか年末あたりから書き始められればいいのだが。
昨日、今日と雨。
ウォーキングは中止だ。
以前は、雨だと何やらホッとしたものだが、いまは逆で、ガッカリ。
習慣の恐ろしさである。
いつぞやも書いたと思うが、何事も習慣化すれば継続できるということだ。
継続に至るかどうかは分岐点があり、そこに行くまでは坂道を登るがごとくのつらさで、そこを超えれば楽しみ気分の下り坂になる。
そう思って取り組むと、あまり重荷に感じないものだ。
いま、ざっと仕事部屋を見渡すと、時計が5つある。
尋常ではないと自分で思う。
だが、何をしていても時刻が自然と目に入ってくるため、これは助かる。
いま14時40分。
幼児・1年生の稽古まであと1時間20分。
(そうだ、この間にゲラを読もう)
と瞬時に予定が立つ。
同時に、幼児・1年生に何を話して聞かせるか、5分ほど考えることにする。
時計が絶えず、そして無意識に目に入るのはとても助かるのだ。
自宅は、こうはいかない。
愚妻がうっとうしがるのだ。
時計を四方に置けと命じると、
「何時だっていいでしょう」
とノンキなことを言う。
バチ当たりも、ここに極まりなのだ。
私は朝のウォーキングも、必ず腕時計を嵌めていく。
時間に追われているのではない。
時間を追いかけているのだ。
そう思えば、溜息をつきつつも踏ん張れるのである。
時間を追いかける
投稿日: