経済的に困窮している方で、葬儀もできず、僧侶も呼べない人のために「ボランティア読経」を始めることにした。
今年の2月頃から市のボランティアセンターと話を詰めていたのだが、諸々の事情もあり、やっと目処がたった。
隣接市の地域包括センターからの依頼で、近々、読経しに行く。
奥さんが入院中のため、亡くなったご主人はすでにお遺骨にしてあるそうで、退院を待ってご自宅にお伺いすることになった。
携帯用のご本尊もすでに購入してある。
私ごときがどれほどお役に立つのか、心もとない限りだが、これから精一杯、「ボランティア僧侶」として活動してみようと思っている。
このブログを書いていて、いまひょいと、こんな言葉が浮かんだ。
「生まれるに順番あり、死するに順番なし」
死するに順番がないにもかかわらず、年配の方がお亡くなりになると、
「順番ですから」
といった言い方を遺族の方はする。
お悔やみに対する気づかいであることは承知しているが、私たちは死に対して「順番」という観念が心の片隅にあるのだろう。
だから加齢を恐れる。
順番はないのだ。
老いも若きも、薄氷の上を歩いている。
いつ氷を踏み抜いて、冷水のなかに落ちるか。
明日は誰にもわからないのだ。
ボランティア読経
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