歳時記

楽しんでこその人生

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法事に葬儀にと多忙な日々が続き、今日、ようやくひと息。
といっても、明後日からも法務が続くので、気分としては束の間の自由時間である。

ゆっくりしていたいのだが、そうもいかない。
こまごまとしたことに意外に時間を取られる。

各種案内の出欠ハガキ投函、礼状書き、保護観察対象者宅の往訪アポ、愚妻の日帰り温泉の送迎、ガソリン入れ、ウォーキングもしたいし、時間があれば日帰り温泉にも行きたい。

そんなことより、先送りした執筆をどうするか。
これがズシンと心に乗りかかってきて、とても「ひと息」とはならないのである。

昭和の価値観は「多忙=充実」とした。

ならば、
「私の人生は充実しているのか」
と自問し、ふと疑問が浮かぶ。

「多忙=充実」であるなら、奴隷の人生も「充実」ということになるのではないか。
だが、そうではない。
なぜなら、そこに「自分の意志」が介在していないからである。

言い換えれば、「自分の意志」が介在する忙しであれば「充実」ということになる。

もっと言えば、「多忙=充実」は、おのれの意志にあるということになる。

もっともっと言えば、奴隷であっても「自分の意志で重労働をしている」と思えば、充実した人生になるということだ。

「そんなの、無理」
と誰しも思うだろうが、このあたりに人生を生き抜くヒントがあるように思うのである。

そんなことをつらつら考えているうちに、いつぞやこのブログでご紹介した安岡正篤の『忙中閑有り』という言葉がよぎる。

「ヒマになったら」
「時間ができたら」
という考えは所詮、物事の先送りに過ぎない。

私も時間ができたら、書道と墨絵を前々からやってみたいと思っているだが、「忙しい」は言い訳。
やりたければすぐにやればいいのだ。

それで始めることにした。

かつて書道を囓ったことがあるが、自分の性格そのままに、これからは「我流」でいこう。
墨絵はまったく心得がないので、さっそく入門書を注文した。
和室に書道用具をセットした。

墨絵の仏画に、仏語の書を添える。
これがテーマである。

さて、三日坊主か、一ヶ月坊主か。
いずれにしても、私は「坊主」ではないか。
気楽に始めてみればいいのだ。

そう自分に言い聞かせつつも、
(原稿が一段落してからだな)
という思いもよぎる。

さて、どうなるか。
結果はどうあれ、何事も楽しんでこその人生である。

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