年の瀬に大掃除をしなかったことに、いま気がつく。
大掃除とはいかないまでも、自室は毎年片づけていた。
少なくとも机まわりは整理した。
ところが今年は、そんなことは思いもしなかった。
「片づけ法」の伝授と称してビジネスにしている御仁もいるが、このころ「片づけ」に意味がないことに気がついたのである。
「散らかっていてイヤだな」
と思うから、
「片づけなきゃ」
ということになる。
コトの本質は「散らかっていること」にあるのではなく、
「イヤだな」
というネガティブな思いにある。
だから、
「散らかるのは日々を生きている証(あかし)」
とポジィティブにとらえれば、気にならない。
つまり、何事も気持ちの問題であると気づけば、すべてはウェルカムということになる。
そんな人生観を愚妻に言わせれば「ジコチュー」ということになるが、ジコチュー大いに結構ではないか。
「自分らしく生きる」
と言えば聞こえがいいが、とどのつまりは「ジコチュー」ということなのである。
今年も煩悩と二人旅だった。
来年も二人旅はつづく。
七十余年も煩悩と肩を組んで歩いていると、愛おしくて離れがたい。
すなわち、煩悩は滅するものではなく、飼い馴らすものであることにようやく気がついた次第である。