歳時記

「棒があった!」という驚き

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2年ぶりの山中湖合宿だが、稽古するのは会員諸君で、私は体育館の壁際のソファーで見物である。

『見物』は「見て楽しむ」の意味だが、同じ発音でも『見仏』となれば、
「仏の姿や光を見ること」
という意味になる。

一見すれば、私はボーとして稽古を見物しているように見えるだろうが、そうではない。

意識を集中して『見仏』しているのだ。

そんなことを考えながら、何気なくソファーの背もたれ部分の後ろをひょいと見やると、何と、床にホコリまみれになった古武道の棒が落ちているではないか。

(あった!)

驚き、私は「見仏」しながら心で叫んでいた。

2年前、私がこの体育館に忘れていった棒なのである。

いろんな競技の多くの団体が合宿でこの体育館を使用しているだろうに、よくぞ2年間もここにあったものだ。

体育館は広い。
私がひょいとソファーの背後を覗かなければ棒に気づいてはない。
しかも、何で覗いたのだろう。
たぶん、棒が、

「見つけてくれ! 待っていたよ!」

と私に訴えかけていたのだろう。

そんなことを思う一方で、

(この体育館はソファーの裏まで掃除しないのか?)

そんな意地悪な思いもよぎるのである。

それにしても、こうした偶然は運に恵まれているようで、実に気分がいいものである。
合宿から深夜帰宅は疲れたが、気分は最高であった。

昨日は法事2件のほか通夜が入った。
今朝は愚妻が1泊2日で抗ガン剤投与のための入院であったが、葬儀が午前中にあるため、病院には送れない。

1泊2日も3回目になると、私もおざなりになるのだろう。
(申しわけないな)
という思いはわいてこず、
「自力で行くように」
命じると、愚妻も、
「わかったわ」
あっさりとした返事。

あれこれ考えたところでどうなるものでもない。
どうなるものでもないことは、放っておくに限るのだ。
棒だって2年ぶりに、ひょいと見つかることもあるのだ。

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